華道遠州いけばなの歴史

華道遠州の歴史

小堀遠州自画像小堀遠州候の自画像といわれている。家光の茶の指南役とされているが、利休や織部のように政治と癒着せず、「綺麗さび」という独特の美意識をあらゆる芸術分野で発揮した。   歴代宗家岸松斎一貞は初世一馬の直接の師匠で正風挿花の規矩確立を目指した。  
歴代宗家初世・貞松斎 米澤 一馬は師匠の一貞とともに確立した規矩を一貞の死後、図版とともに理論化し、正風挿花として確立した。仏教学・易学・儒学・俳句・書道などにすぐれていた。<挿花衣の香より>
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歴代宗家二世は米澤一馬の息子であり、二世を継いだ貞松斎 米 一馬として宗匠となる。<衣の香三編より>

   
歴代宗家
春秋軒一葉は、いけばなの遠州流すべての祖といわれているが、安永五年に記した書には足利候が定めた花の法則を、「床のあしらい、冠婚葬祭慶弔の花、また儀式や花器道具など」まとめたもので、花形はまだ理論的に確立されていない。
歴代宗家三世は初世の門人である園田氏が就任する。明治中頃まで活躍する。<挿花月之友より>
 
歴代宗家四世はわずか宗家就任後三年で亡くなり、三世の息子である清吉が五世宗家を継ぐ。<大日本華道賓監より>

 

華道遠州いけばなの匠

小堀遠州
小堀遠江政一<こぼりとおとみのかみまさかず>・・・いわゆる、小堀遠州のことである。茶人として、またアートディレクターとして庭園や茶道具の意匠をはじめ、花にも黄金比率を与え美の確立を試みた。彼の美意識を元として遠州生花は誕生した。
鶴陽舎一明
通称、加賀爪直澄は、関ヶ原の戦、大阪の役に戦功があり5千5百石を領し、江戸町奉行に登用され書院番隊長、寺社奉行等を勤めた。
又、茶・華道にも通じ、鶴陽舎一明、別に、名月庵鑑とも号していた。
真賓庵 森一斎
・遠州の茶を極め、花にも精通。
信松斎一蝶
・綺麗さびの花を昇華させる茶人。
春秋軒一葉
<しゅんじゅうけんいちよう>現在の規矩の礎を建てようとした。また、法則や伝承をまとめ華道として成立させた茶人。
岸松斎一亭
華道遠州生花の規矩をほぼ確立させる。
貞松斎一馬
米沢氏。師匠の岸松斎とともに遠州生花を極め、正風(紛れもないという意味)遠州流として確立。初世宗家として活躍。初世 貞松齋一馬
貞松斎 一馬(二世〜七世)
米沢氏のあと、その息子、一門の園田氏、山岡氏らが宗家を引き継ぐ。六世になり芦田春寿氏が宗家に。昭和に活躍する。華道遠州宗家芦田一寿氏の曾祖父である。